トータルフットボール

1974年西ドイツ大会

トータルフットボール, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=166818 / CC BY SA 3.0

#サッカーの戦術と技術
1974年ワールドカップのオランダ代表 トータルフットボール(蘭: Totaalvoetbal, 英: Total football)は、1974年サッカーW杯でオランダ代表が用いた戦術の俗称である。
1970年代サッカー界で生まれた流行語であり、トータルフットボールだという特段の定義も存在せず「フーリガン」と同じようにメディア発祥の造語である。
一般に用いられる平易な解釈として「ポジションが流動的で、且つ全員攻撃全員守備」といった説明がなされる。
西部謙司は自著の中でトータルフットボールを次のように定義している。
①現代的または未来的な印象を与える ②優れたチームプレーであること ③攻撃的かつ魅力的であること リヌス・ミケルスは「1930年代にはオーストリアがトータルフットボールをプレーしていた」と言っている。
1950年代初期に、オーストリア人のヴィリー・メイスルによって考案された「渦巻き」理論がトータルフットボールの原案であるとされている。
それは、個々の選手が思いのままにポジションチェンジを繰り返し、渦を巻くようにチームがダイナミックに機能するというものであった。
ただ、これを可能にするには、選手一人一人が同じくらい高い技術と戦術眼を併せ持ち、なおかつかなりのスタミナが必要だと考えられていた。
さらに、動きの連続性を持ったその渦が、自ら意思を持つように前進と後退を繰り返すためには、渦の中心にいながら、渦の外からその流れを俯瞰できる稀有なビジョンを有し、渦をコントロールするだけの並外れた影響力を具えた選手が必要であった。
こうしたオールラウンド・プレーヤーと、フィールド内の監督としてチームを掌握できる選手を同時に揃えることは非常に困難だったので、この構想は実現不可能な単なる空想に終わろうとしていた。
しかし、名将リヌス・ミケルスに率いられたチームが、この戦術を具現化する。
ボール狩り(現代戦術のフォアチェック)、オフサイドトラップを多用し、ポジションに縛られないワイドでスペクタクルなサッカーを展開した1974年W杯のオランダ代表がそれである。
この時のオランダ代表は、1969年からヨーロッパ・チャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)に5年の内4度決勝進出(1971~1973年は優勝)していたアヤックス・アムステルダムと1970年優勝のフェイエノールトの中心選手で構成されており、高い技術、戦術眼を持ち合わせた選手が揃っていた。
特にアヤックスの中心選手であったヨハン・クライフの存在は大きく、クライフ無しではトータルフットボールは完成しなかったと言っても過言ではなかった。
1974年W杯でのオランダ代表は快進撃を続け、決勝戦までで14得点1失点、その1失点もオウンゴールと完璧なサッカーを展開していた。
特に2次リーグのブラジル代表戦では、トータルフットボールを最も具現化した試合としてW杯史に残る名試合と言われている。
しかし、クライフ以後のサッカー界でトータルフットボールを実現したチームは無いとされる。
現実的には「クライフあってのトータルフットボール」であった。
イビチャ・オシム(当時・ジェフ市原監督)も「目指しているのはトータルフットボールだ。ただしそれは永遠に実現されないが。」と述べている。
一方で、トータルフットボールの考えは現代サッカーにも多大な影響を与えた。
“ボール狩り”と“オフサイドトラップ”を組み合わせて進化させたゾーンプレスは、選手が自由にプレーする“スペース”をいかにして消し去るかを考えた戦術であり、また現在の主流戦術である“ポゼッションフットボール”は、後方や中盤でボールをキープしている間に、FWを始めとする前線の選手がいかに有効な“スペース”を作り出せるかがその戦術の目的である。
どちらもトータルフットボールが生み出した“スペース”に対する考え方から派生したものである。
まず、フィールドをポジションではなくスペースから考えることが特徴である。
トータルフットボールの登場まで、サッカーはポジションにおける役割が組織プレーとしては最も重視されてきたが、トータルフットボールの場合、スペースを作る動き、スペースに入り込む動きが重要である。
この“スペース”に対する考え方が、激しいポジションチェンジを繰り返す全員攻撃・全員守備という流動的なサッカーの基礎となっている。
さらに、高い位置からのプレスも一つの特徴と言える。
“ボール狩り”と呼ばれたそのプレッシングは、ボールを持つ相手選手に…

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