ジミー・グリーブス

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ジミー・グリーブス, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=821810 / CC BY SA 3.0

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ジェイムズ・ピーター・”ジミー”・グリーヴス(James Peter “Jimmy” Greaves, 1940年2月20日 – 2021年9月19日)は、イングランド・ロンドン出身の元同国代表サッカー選手。
現役時代のポジションはFW(センターフォワード)。
1960年代のイングランドを代表するストライカーの一人で、6度のリーグの得点王を獲得している。
1957年にチェルシーFCでフットボールリーグデビュー。
1959年と1961年の2度得点王に輝いた。
1960-61シーズンの41得点は現在もクラブ記録として残っている。
1960年には史上最年少の20歳290日でリーグ通算100得点を達成。
チェルシーでは通算157試合で124得点を挙げた。
1961年にセリエAのACミランへ移籍する。
14試合9得点を記録するが、同年12月にビル・ニコルソン率いるトッテナム・ホットスパーFCへ加入し母国へ復帰。
移籍後初出場のブラックプールFC戦でハットトリックを達成した。
10年間在籍し321試合でクラブ記録の220得点を挙げ、1963年、1964年、1965年、1969年の4度得点王に輝いた。
1962年と1967年にFAカップ、1963年にUEFAカップウィナーズカップで優勝した。
1970年にウェストハム・ユナイテッドFCに移籍。
38試合で13得点を挙げ、1971年に31歳で現役を引退した。
リーグでは通算516試合に出場し、イングランド1部リーグ史上最多の357得点を挙げた。
得点王6度も歴代最多記録。
また、2017年にリオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウドに抜かれるまで欧州5大リーグ歴代最多得点者だった。
1959年5月17日のペルーとの親善試合でイングランド代表デビューすると共に代表初ゴールを挙げる。
1963年11月20日の北アイルランド戦と1966年6月29日のノルウェー戦では1試合4得点を記録している。
1962年W杯チリ大会では、1次リーグ2試合目のアルゼンチン戦でW杯初ゴール。
イングランドは決勝トーナメントに進出するが準々決勝でブラジルに敗退。
地元開催となった1966年W杯イングランド大会では、ロジャー・ハントの活躍で1次リーグを1位で突破。
グリーブス自身は1次リーグ3試合目のフランス戦で足を痛めたため決勝トーナメントには出場しなかったが、チームはアルゼンチン、ポルトガルを破り決勝に進出。
西ドイツを延長で破り初優勝を飾った。
W杯通算成績は7試合に出場し1得点。
1967年5月27日のオーストリアとの親善試合が代表最後の試合となった。
代表通算57試合で44得点を記録。
ウェイン・ルーニー、ボビー・チャールトン、ゲーリー・リネカーに次ぐ歴代4位。
代表でのハットトリック6回は最多記録である。
近年のグリーヴス(2007年) 妻アイリーンとの間に4人の子供を儲けている。
ストライカーとして多大な功績を収めた一方で、アルコールやそれに関連する病気とも闘ってきた。
1965年には肝炎により3か月間ピッチを離れ、現役引退後にはアルコール依存症に悩まされる。
2012年に2度の脳卒中を発症し治療を受けたが、いずれも軽度のものであった。
トッテナム殿堂入りの式典を控えた2015年5月、より重度の脳卒中に倒れ入院。

以後は車椅子生活となった。
2020年4月7日にも体調不良により緊急入院したが、1週間後に退院した。
しかし1年後の2021年9月19日に死去が伝えられている。
81歳没。

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