カルロス・バルデラマ

1990年イタリア大会

カルロス・バルデラマ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=214544 / CC BY SA 3.0

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カルロス・アルベルト・バルデラマ・パラシオ(Carlos Alberto Valderrama Palacio, 1961年9月2日 – )は、コロンビア・サンタ・マルタ出身の元同国代表サッカー選手。
ポジションはミッドフィールダー(トップ下)。
愛称は「エル・ピーペ(少年)」、「ライオン丸」、「鬼才」。
デポルティーボ・カリで1985-86シーズン、1986-87シーズンと国内リーグ2連覇を果たす。
その後、コロンビア国内のクラブを渡り歩き、1988年にフランスのモンペリエHSCに入団した。
ここで3シーズンを過ごし、スペインリーグのレアル・バリャドリードに移籍したが、欧州サッカーにいまひとつ馴染めず、国内リーグに戻った。
1995年にはアトレティコ・ジュニオールでリベルタドーレス杯ベスト4進出。
準決勝においてホセ・ルイス・チラベルトを擁するCAベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)と対戦し、PK戦までもつれた末に敗退した。
晩年はアメリカ合衆国のクラブで過ごし、タンパベイ・ミューティニーでは1996-97シーズンに東カンファレンスでリーグ制覇し、MLS年間最優秀選手を獲得した。
2003年に現役を引退。
日本の治安の良さに興味を持ち、Jリーグに移籍するのではないかという話があったが、実現しなかった。
サッカーコロンビア代表では1987年のコパ・アメリカでボリビア、パラグアイを破り、C組1位で準決勝に進出。
準決勝ではチリに敗れたが、3位決定戦でディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチンに勝利した。
その活躍が評価されて同年の南米年間最優秀選手賞を受賞した。
以後、FIFAワールドカップ(以下W杯)では中心選手(いずれも主将で背番号10)として活躍し、コロンビアを1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会、1998年フランス大会出場へと導いた。
1993年アメリカW杯南米予選最終戦では、アルゼンチンを5対0と歴史的大差で下しW杯本大会出場を決めた。
バルデラマは同年、2度目の南米年間最優秀選手賞を獲得している。
彼のW杯のハイライトは1990年イタリア大会の1次リーグである。
UAE戦で自身初ゴールをあげ2-0とW杯初勝利する。
2戦目のユーゴスラビアを0-1と落とし、最終戦に引き分け以上でなければ1次リーグ敗退が決まるコロンビアは、ローター・マテウスやユルゲン・クリンスマンを擁する西ドイツと対戦する。
試合終了間際の88分に西ドイツのピエール・リトバルスキーのゴールが決まり、コロンビアの1次リーグ敗退が濃厚となった。
しかし、直後の90分にバルデラマからフレディ・リンコンへスルーパスが通り、リンコンはゴールキーパーのボド・イルクナーの股を抜く同点ゴールが決めた。
この得点により決勝トーナメント進出を決めた。
対戦した西ドイツ主将マテウスは「彼のパスはシルクの糸のようだった」と評した。
1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で78位に選出された。
2004年3月、『偉大なサッカー選手100人』ではコロンビアから唯一選定された。

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