ジェフ・ハースト

1966年イングランド大会

ジェフ・ハースト, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=994194 / CC BY SA 3.0

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サー・ジェフリー・チャールズ・”ジェフ”・ハースト(Sir Geoffrey Charles “Geoff” Hurst MBE, 1941年12月8日 – )は、イングランド・アシュトン=アンダー=ライン出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。
1966年FIFAワールドカップ決勝戦の西ドイツ戦にて決勝ゴールを含むハットトリックを挙げ、母国の同大会初優勝に貢献した。
しかしその決勝ゴールが実際にゴールラインを割っていたか否かについては、現在も論争の的となっている。
1959年にウェストハム・ユナイテッドFCに入団し、ここでキャリアの多くを過ごすことになる。
当初のポジションはミッドフィールダーだったが、ロン・グリーンウッド監督によってフォワードにコンバートされた。
ウェストハムでは1964年にFAカップ、1965年にUEFAカップウィナーズカップ 1964-65で優勝した。
ウェストハムを離れた後はストーク・シティFC、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC、NASLのシアトル・サウンダーズなどでプレーした。
引退後は指導者として、ウェストハムとチェルシーFCでアシスタントコーチを務め、チェルシーでは監督のダニー・ブランチフラワーが解任された後は監督に昇格した。
1975年に大英帝国勲章を授与され、1998年にはナイトに叙勲された。
2004年にイングランドサッカー殿堂入り。
1966年2月に西ドイツ戦でイングランド代表デビューを果たす。
数ヶ月後に開かれた1966年FIFAワールドカップ・イングランド大会のメンバーにも選出されたが、大会当初は控え選手とみなされていた。
だが大会途中にエースFWのジミー・グリーヴスが怪我をしたため、準々決勝のアルゼンチン戦から出番が回ってきた。
自身のゴールによってアルゼンチンに1-0で勝ったイングランドは、準決勝のポルトガル戦にも勝ち、西ドイツとの決勝戦に駒を進めた。
西ドイツ戦では前半18分に同点弾となる1点目、延長前半11分に3点目、更に延長後半5分にも4点目を挙げて、ワールドカップの決勝戦でハットトリックを達成した最初の(そしていまだに唯一の)選手となった。
イングランドは結局4-2で西ドイツを降し、ワールドカップ初優勝を遂げた。
論争の焦点は決勝ゴールとなった延長前半11分の3点目である。
自身の右足から放たれたシュートはクロスバーを強く叩き、真下に落下してゴールライン上に落下した。
スイス人主審のゴットフリート・ディーンストは線審の判断を仰いだが、ロシア人線審(実際にはアゼルバイジャン人だが、一般的にこう呼ばれている)のトフィク・バフラモフはこれをゴールと認めた。
1970年メキシコ大会でも3試合に出場して1ゴールを挙げた。
代表での最後の試合は1972年4月のEURO1972予選・西ドイツ戦だった。
2013年8月12日、ゴールライン・テクノロジーがプレミアリーグで採用されることを機にコメントし、同技術の運用に賛成すると表明した。

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