マウロ・タソッティ

1994年アメリカ大会

マウロ・タソッティ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=984736 / CC BY SA 3.0

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マウロ・タソッティ(Mauro Tassotti、1960年1月19日- )は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
ACミランの黄金期を支えた一人であり、1988年のソウルオリンピックではイタリア代表主将を務めた。
W杯には、1994年米国大会に出場した。
地元のクラブチームSSラツィオのユースアカデミーでキャリアをスタートさせ 、1978-79シーズン、11月5日のアスコリ・カルチョ戦にてセリエAデビューを果たした。
1980-81シーズン、ACミランに移籍、ラツィオ時代にはやや荒いプレーをすることが多かったが、移籍後は成長を遂げ、アルタフィー二監督からも賞賛されるプレーを見せるようになった。
ここでは長年に渡りレギュラーとして確実なプレーを見せ、フランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタ、パオロ・マルディーニらとともに鉄壁のDFラインを築き、ミランの黄金期を支えた。
ミランでの通算出場数は583試合で、これはマルディーニ、バレージ、ジャンニ・リベラに次ぐ歴代4位の記録である。
1988-89シーズン、チャンピオンズカップ決勝、FCステアウア・ブカレスト戦ではオーバーラップから強烈なシュートを放ち、これを相手GKが弾きルート・フリットがこぼれ球を詰めて決勝ゴールが生まれ、更にクロスでフリットの2点目のゴールをアシストするなど、優勝に大きな役割を果たした。
1993-94シーズン、チャンピオンズリーグ決勝、FCバルセロナ戦ではバレージ、コスタクルタの出場停止という問題を抱え、バルセロナ優位という下馬評の中、キャプテンとして出場しロマーリオやストイチコフを抑え優勝に貢献した。
1988年のソウルオリンピック代表の経験はあったが、フル代表デビューは1992年10月14日のスイス戦、32歳と遅咲きだった。
1994年ワールドカップアメリカ大会では、グループリーグ初戦のアイルランド戦で先発出場、準々決勝のスペイン戦でも先発出場し、好プレーを見せていたが、ルイス・エンリケに肘打ちをして鼻骨骨折させ8試合出場停止という処分を受けた。
その後は高齢であった事もあり、代表に呼ばれることは無かった。
引退後はミランに残り、ユースでの指導を経て、2001年からアシスタントコーチに就任。
2014年1月13日、マッシミリアーノ・アッレグリ監督解任を受けて、暫定監督に就任。
その後、クラレンス・セードルフが監督となりアシスタントコーチに戻り、セードルフの後任のフィリッポ・インザーギの下でも留任した。
2015年にシニシャ・ミハイロヴィチが監督に就任するとスーパーバイザーに異動。
2016年7月に現役時代から37年間勤めたACミランを退団、旧知のアンドリー・シェフチェンコの要請を受け、ウクライナ代表のアシスタントコーチ就任が発表された。

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