マルセル・デサイー

1998年フランス大会

マルセル・デサイー, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=197331 / CC BY SA 3.0

#フランスのサッカー選手
#サッカーフランス代表選手
#FCナントの選手
#オリンピック・マルセイユの選手
#ACミランの選手
#チェルシーFCの選手
#アル・ガラファの選手
#カタールSCの選手
#FIFAワールドカップフランス代表選手
#1998_FIFAワールドカップ出場選手
マルセル・デサイー(Marcel Desailly, 1968年9月7日 – )は、ガーナ・アクラ出身の元フランス代表サッカー選手。
ポジションはDF(センターバック)、MF(ボランチ)。
日本語表記としては「デサイー」「ドゥサイー」「ドゥサイイー」などもメディアで使用される。
アクラにて、ガーナ人の両親のあいだにオデンケ・アベイ (Odenke Abbey) という名前で生まれる。
彼の母親がフランスの外交官と結婚して子供たちを養子とした際にマルセルと改められた。
一家は1972年にフランスのナントへ移る。
彼は12歳からFCナントのユースチームで育ち、1986年にプロ選手となった。
1992年にマルセイユに移籍。
1992-93シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ優勝と国内リーグ優勝を果たすが、国内リーグ戦での八百長が発覚したためリーグ優勝は剥奪された。
1993年11月に冬の移籍市場でセリエA・ACミランへ移籍、すぐにレギュラーのポジションを確保した。
1993-94シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに優勝し、異なるクラブで2年連続優勝を経験した最初の選手になった、また1994年のファイナルではミランの4点目を決め、優勝に貢献した。
1993-94と1995-96シーズンの2度リーグ優勝を果たした。
ミラン加入以前はDFとしてプレーしていたため、 彼自身はディフェンダーとしてのプレーを好んだが、ミランでは専らミッドフィールダーで起用された。
1998年、イングランドのチェルシーへ移籍金460万ポンドで移籍し、2002-03シーズン末までセンターバックとしてプレーした。
チェルシーにおいて彼はフランク・ルブーフと堅固なパートナーシップを築いた。
2004年にカタールのアル・ガラファに移籍。
クラブキャプテンを任され、2004-05シーズンのカタールリーグに優勝した。
翌シーズンはカタールSCに移籍したが、2005年11月に退団した。
その後はどこのクラブにも所属せず、2006年5月7日に現役引退を表明した。
フランス代表には、1993年8月22日のスウェーデン戦でデビュー。
以降も守備の要として1998年のフランスW杯、2000年のEURO2000でそれぞれフランスの優勝に貢献。
EURO2000後はディディエ・デシャンからキャプテンを引き継いだ。
日韓W杯、EURO2004ではそれぞれ出場を果たすが敗退、EURO2004後に代表からの引退を表明した。
通算116キャップは2006年にリリアン・テュラムに破られるまでフランス代表の最多記録だった。
2007年3月、古巣のACミランのフロントに就任。
主としてアフリカの新人発掘スカウトの業務を担っている。
2007年にガーナ人として初めてとなるUNICEF親善大使に任命され、主に子供たちへの教育や福祉の問題に取り組んでいる。
マルセイユ ミラン チェルシー アル・ガラファ 代表

コメント

タイトルとURLをコピーしました