アントニオ・カブリーニ

1982年スペイン大会

アントニオ・カブリーニ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=406496 / CC BY SA 3.0

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アントニオ・カブリーニ(Antonio Cabrini、1957年10月8日 – )は、イタリア・クレモナ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。
ポジションはDF(左サイドバック)。
大きな農場を営む富豪の家に生まれた。
ジャチント・ファッケッティの系譜を受け継いだ左サイドバック。
積極的な攻撃参加が持ち味で、センタリングやシュートの精度も高く、また高い守備能力も持ち合わせている。
アズーリのサイドバックの中でも屈指の選手である。
1973年に地元のクラブチームであるクレモネーゼでキャリアをスタートさせると、アタランタを経て、1976年に19歳で強豪ユヴェントスに移籍。
ユヴェントスでは在籍した13シーズンで、1985年のUEFAチャンピオンズカップ、インターコンチネンタルカップに優勝。
さらに、6回のスクデット、2回のコッパ・イタリア、1回のUEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップとクラブレベルでは多くのタイトルを獲得し、440試合出場52得点という記録を残した。
ユベントスの右サイドからのFKはミッシェル・プラティニではなく、ガブリー二が担当することが多かった。
イタリア代表としては1978年のFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会で代表デビューを果たし、そのまま左サイドバックのレギュラーに定着。
1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会では、アルゼンチン戦で決勝ゴールを決めた。
決勝では前半24分に獲得したPKを蹴るも失敗したが、イタリアは勝利し優勝を果たした。
1987年に退くまで国際Aマッチ73試合出場9得点を記録した。
その後、クラブでは1989年にボローニャに移籍。
1991年に選手キャリアに幕を降ろした。
引退後は指導者の道へ進んだ。
2012年、女子サッカーのイタリア代表のコーチに就任した。

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