サッカーワールドカップ 英雄ドログバ (コートジボワール)神と称される男

1978年アルゼンチン大会

画像はコートジボワールとは関係ないイメージです。

ディディエ・イヴ・ドログバ・
テビリー
(Didier Yves Drogba Tébily)

1978年3月生れ 36歳

コートジボワール代表のサッカー選手。ポジションはFW。

アフリカ年間最優秀選手、プレミアリーグ得点王など数々の栄誉を手にしたストライカー。

5歳でフランスに移り、19歳でル・マンUCとプロ契約し選手生活が始まる。

サッカー選手の力量を開花させたドログバは、フランス代表でプレーすることも可能であったが、母国であるコートジボワール代表を選択。
母国をW杯初出場に導く原動力となった。

また、
「コートジボワール内戦を止めさせた男」

「コートジボワールの歴史を変えた。神のような存在」として、国民に敬愛されている。

コートジボワールでは2002年、内戦が勃発。
2005年10月、06年ドイツ大会の本大会進出を決めた試合の後、マイクを手にしたドログバは、更衣室でチーム全員と一緒に、生中継のテレビカメラに向かってひざまずき、内戦をやめるよう訴えた。

「コートジボワール市民の皆さん、北部出身の、南部の、中部の、そして西部出身の皆さん、私たちはこうやってひざまずき皆さんに懇願します。許し合ってください。

コートジボワールほどの偉大な国がいつまでも混乱し続けるわけにはいきません。武器を置いて、選挙を実施してください。そうすれば全てが良くなります」と訴えた。

これが大きなきっかけとなって、戦闘が一時止まった。

コートジボワールでの国際試合は、南部で行われるのが常であったが、2007年6月の試合の時、ドログバは、大統領に直訴し、北部にある反政府軍の拠点ブアケでの開催に変更。

南部出身者でしめられていた政府首脳も、敵対する北部の街を訪れ、出身地に関係なく「コートジボワール」を応援した。

この試合はアフリカ中のメディアが注目。
コートジボワールの人々の心が一つになるきっかけとなり、和平に向かう事になった。

ドログバは、2007年1月24日に国連開発計画(UNDP)親善大使に就任。

複数の慈善団体と協力し、貧困撲滅への支持を呼び掛ける活動を行っている。

参照、出典元
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%90
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/sports/gooeditor-20100610-01.html
http://brazil2014.yahoo.co.jp/column/detail/201405300003-spnavi
http://www.j-cast.com/tv/2013/12/09191150.html
http://nakeru.eco.myblogs.jp/%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%90/
http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/ourwork/goodwillambassadors/didier_drogba/

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