リュシアン・ローラン

1998年フランス大会

リュシアン・ローラン, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=656532 / CC BY SA 3.0

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リュシアン・ローラン(Lucien Laurent, 1907年12月10日 – 2005年4月11日)は、フランスのヴァル=ド=マルヌ県サン=モール=デ=フォッセ出身のサッカー選手。
FIFAワールドカップで最初のゴールを挙げた。
1921年から1930年までセミプロチームのCAパリでプレイ、1930年からは彼が働くプジョーのワークスチームであったFCソショーへと移籍。
兄のジャン(本大会試合出場なし)と共に1930年第1回W杯ウルグアイ大会のフランス代表メンバーに選出されるが、アマチュア選手であったため、フランスサッカー連盟からは基本的な手当を受け取ったのみである。
1930年7月13日、開幕戦となったフランス対メキシコ戦の前半19分にローランは歴史的なワールドカップ初ゴールを挙げた。
フランスはこの試合に4-1で勝利したが、アルゼンチンおよびチリとの試合を落としてグループリーグで敗退。
ローラン自身は2戦目のアルゼンチンとの試合中に受けた負傷のため、3戦目は欠場した。
1934年W杯イタリア大会のフランス代表にもメンバー入りしたが、負傷のため出場機会はなかった。
フランス代表通算10試合出場2得点。
第二次世界大戦勃発後は軍隊に招集されたが、ドイツ軍に捕らわれて3年間の捕虜生活を送ることになる。
1943年に解放されてからはブザンソンで1946年までプレイして引退。
後にトレーナーおよびユース監督を務めた。
1930年W杯フランス代表メンバー唯一の生き残りとして1998年W杯フランス大会でのフランス代表の優勝を見届け、7年後の2005年に97歳で死去。

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