98年フランスW杯日本代表の「光り輝くその後の20年」…追い続けた増島みどりさんが教えられたこと

1998年フランス大会

98年フランスW杯日本代表の「光り輝くその後の20年」…追い続けた増島みどりさんが教えられたこと:
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 スポーツライターの増島みどりさん(57)がロシアW杯(14日開幕)目前の6日、「日本代表を、生きる。『6月の軌跡』の20年後を追って」(文藝春秋)を出版する。20年前、W杯初出場を果たした岡田武史監督、中山雅史、井原正巳らサッカー日本代表の選手、スタッフを追った「6月の軌跡 ,98フランスW杯日本代表39人全証言」を上梓した著者が20年後の“彼らの今”を追った一冊。そこには、「代表になる」でも「選ばれる」でもなく、W杯という大舞台を初めて経験した日本人として誇り高く「代表を生き続ける」選手たちの息づかいが鮮やかに刻まれていた。  98年12月に出版した「6月の軌跡―」で増島さんはミズノスポーツライター賞を受賞している。ドーハの悲劇を経てのジョホールバルの歓喜―。日本初のW杯出場という快挙を成し遂げた岡田監督、井原、中山ら代表メンバー22人だけでなく、直前合宿で落選した三浦知良、北澤豪、市川大祐の3人、さらにトレーナー、シェフまで39人の「代表チーム」のフランスW杯での1か月間の戦いを追った熱い一冊だった。  それから20年。「書くなら、あの39人全員にもう一度会うしかないと思った。全員の言葉を聞こうと」と増島さんは心に決めた。  きっかけは16年11月、青森・八戸のダイハツスタジアムで行われた市川の引退試合だった。高校2年だった98年、17歳で仏W杯のサポートメンバーとなった市川が36歳(当時)になり、JFLヴァンラーレ八戸で現役を退く。その試合を取材した時、「初めて会った時は学生服を着ていた市川と、それから20年ずっと付き合ってきたなと思った。彼らはずっと頑張って、ピッチで生きてきた。この20年間が何をもたらしたのか。選手の思いだけでなく、日本サッカー界の歴史に触れたいと思った」という。  その場でパソコンを開いて調べると、市川を含め、50歳のカズ三浦、37歳の小野伸二ら7人が現役を続行。Jリーグ、日本代表を指導できるライセンスの最上位・S級ライセンスを取得した人が12人もいた。井原、名波浩、山口素弘ら5人はすでに監督を経験していた。  生ける日本サッカー界のレジェンドたちに会おう―。そう決意した瞬間、長い「旅」が始まった。取材期間は16年11月から18年3月までの1年半に及び、39人に再び会うため、八戸から福岡まで日本中を飛び回った。  取材開始時には出版元も決まっていなかった。「旅」が完遂できるのか。道に迷いそうになった時、背中を力強く押してくれたのが、北澤の「絶対にやるべきだよ」と井原の「ボクは読んでみたいですけれど…」という言葉だった。  現在はサッカーから完全に距離を置いている中田英寿にも、仙台での日本酒イベントの現場を“急襲”して話を聞いた。中田が韮崎高2年の時から取材を続けてきた増島さんだからこそ可能だった荒業だった。  現在、FC今治代表取締役を務める岡田氏は今回の取材にこう答えたという。  「最近、自分で気がついたんだ。あのW杯という経験の中で自分の中の飢餓遺伝子に火がついていたことに。狩りをしないといけないという思い。今、今治でオーナーになった時、リスクを犯すことを怖がらない自分、失敗や批判を受けてもへこたれない自分がいた。そういう自分に、あの経験でスイッチが入った」。そう、岡田監督でさえ、20年前のあのW杯で“強さ”を身につけていた。  小野の何十回手術しても現役を続ける姿、名波のような華麗なプレーの持ち主がケガをしても頑張り続ける姿―。選手への取材を通じて、25人が今でも日本代表という誇りを胸に戦い続ける20年間を過ごしてきたことが分かったという。  「華麗なプレーの名波でさえ、20年前と今では全く違っている。人を見る優しさとか。名波始め全員に共通するのは、世界と戦うためにはどうしたらいいか、それをいかに伝えていくかという座標軸が、この20年間で彼らの中でしっかりできていたこと」と増島さん。  「小野も20年前のインタビューでは『(W杯の)ジャマイカ戦の股抜きで快感を感じたけど、その後のシュートでコケてしまった』と言っていたのが、20年後に同じ場面について聞いたら、『あれはシュートすべきではなかった。左から平野(孝)が上がっていたから、あの時はパスすべきだった』と言った。それだけ、今は視野が広がったって。あの時の自分の視野の狭さが悲しくなったって。伸二にとっては、その答えを出すための20年だったと思う」と取材秘話も明かした。  39人の取材を終えた時、見えてきたことがある。「彼らと話していると、どんな言葉にも心がこもっていた。こういう人たちが日本の最初の(W杯への)扉を開けたんだと。ピッチでプレーすることだけじゃない、初めてW杯のピッチを踏んだ日本人としての責任感、使命感。そういう十字架を自分に課してきた人たちだったんだと気づいた」。  そう言う増島さんは、本文中で一度も「私」という言葉を使っていない。あくまで選手たちの言葉を写し取る“カメラ役”に徹し、39人の1人1人に「今」「未来」「過去」の3章を設け、その言葉と生き様を伝えることに集中した。  「私にとって、改めて認識できたのは、彼らは『元』代表ではなく、今でも素晴らしい日本代表だってこと。代表になるでもなく、代表に選ばれるでもなく、代表を“生きる”という新しいテーマを教えてくれた。そうやって生きている彼らの20年に触れられた。今はリスペクトと感謝の気持ちです」という。  あの熱い6月から20年。世界サッカー界の最高峰で戦うという日本人初の大冒険に挑んだ39人の「あの時」、そして「それからの20年」―。その全てに“伴走”してきたスポーツライターは「彼らは日本選抜ではなく、私たちの代表。39人全員が20年たっても、みんなバリバリ元気だし、今、立っている場所もクリアなのが、とても嬉しかった」と振り返った。(中村 健吾)  ◆98年フランスW杯代表“25人”の今  ▽GK 小島伸幸(52)=解説者、日大サッカー部コーチ 川口能活(42)=SC相模原 楢崎正剛(42)=名古屋グランパス  ▽DF 名良橋晃(46)=解説者、SC相模原ジュニアユース総監督 相馬直樹(46)=FC町田ゼルビア監督 井原正巳(50)=アビスパ福岡監督 小村徳男(48)=解説者、SKYコーチ 斎藤俊秀(45)=U―16日本代表コーチ、清水エスパルス・アンバサダー 秋田豊(47)=解説者、サンクト・ジャパン代表 中西永輔(44)=解説者、SKYコーチ  ▽MF 山口素弘(49)=日本サッカー協会技術委員、名古屋グランパス育成ダイレクター 伊東輝悦(43)=アスルクラロ沼津 中田英寿(41)=国際サッカー評議会(IFAB)諮問委員 名波浩(45)=ジュビロ磐田監督 小野伸二(38)=コンサドーレ札幌 服部年宏(44)=ジュビロ磐田強化部長、静岡県サッカー協会理事 森島寛晃(46)=C大阪チーム統括部部長 平野孝(43)=解説者、日本プロサッカー選手会CEO、ヴィッセル神戸スカウト  ▽FW 中山雅史(50)=解説者、アスルクラロ沼津 呂比須ワグナー(49)=元アルビレックス新潟監督 岡野雅行(45)=
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