ファビオ・グロッソ

2006年イタリア大会

ファビオ・グロッソ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=412008 / CC BY SA 3.0

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ファビオ・グロッソ(Fabio Grosso, 1977年11月28日 – )は、イタリア・ラツィオ州ローマ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
現役時代はイタリア代表で、ポジションは主に左サイドバック、左サイドハーフ。
現在はセリエB・フロジノーネ・カルチョの監督を務めている。
2001年にセリエC2のキエーティから当時セリエAのペルージャへステップアップ。
ペルージャ時代にトップ下から左サイドへとコンバートされたことによりその才能をさらに開花させた。
パレルモに移ってからはルカ・トーニらと共にクラブの上位進出に貢献した。
2006-07シーズンはインテルでプレーしたが、ワールドカップの疲労によるコンディション不良から本領を発揮することはできなかった。
シーズン終了後エリック・アビダルを放出して、左サイドバックを探していたオリンピック・リヨンに移籍することに合意。
移籍金は750万ユーロ(約12億6000万円)。
2009年夏にユヴェントスへの移籍が決定。
移籍金は200万ユーロ+最高100万ユーロのインセンティブ。
2012年末、引退を決断して現役生活にピリオドを打った。
イタリア代表初招集は2003年。
マルチェロ・リッピ監督に重用され、2006年のワールドカップドイツ大会ではレギュラーの座を奪取。
ベスト16のオーストラリア戦では後半ロスタイムにドリブルでPA内に侵入しPKを獲得、準決勝のドイツ戦でチームを決勝戦へと導く先制点を決めたほか、決勝のフランス戦ではPK戦の5人目のキッカーを任され成功。
24年ぶりの優勝の立役者となった。
パオロ・マルディーニの背番号3を継いでいる。
2013-14シーズンのユヴェントス・プリマヴェーラの春季キャンプにおいてアシスタントコーチに就任した。
翌年3月11日、プリマヴェーラの監督に昇格した。
2017年6月13日、セリエB・FCバーリ1908の監督就任が発表された。
2019年11月5日、ブレシア・カルチョの監督に就任したことが発表された。
しかし、同年12月2日にわずか3試合で解任された。
国際Aマッチ 48試合 4得点(2003年-2009年) ^ “サッカー=ユベントス、イタリア代表DFグロッソを獲得”. 2009年9月5日閲覧。
^ Settore Giovanile, gli allenatori 2013/14 Juventus.com 2013年7月11日付 ^ Juve, Primavera: Zanchetta game over Fabio Grosso in panchina fino a giugno ガゼッタ・デロ・スポルト 2014年3月11日付 ^ “2006年W杯優勝メンバーのグロッソ氏、バーリの指揮官に就任”. SoccerKING. 2016年6月14日閲覧。
^ “ブレシア、ファビオ・グロッソ氏を新指揮官に招へい! ドイツW杯の優勝メンバー”. 超ワールドサッカー (2019年11月6日). 2019年11月6日閲覧。

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